30~40代で新たなチャレンジをした先輩が体験談を語る、「30sta!な人」。第6回は都内のIT企業に勤めながら、52歳の時に、副業でオリジナルのクラフトジンを開発した松田行正さんにご登場いただきました。
「いつかは自分のお酒をと思いながらも、夢のまた夢だと思っていた」という松田さん。それまでお酒づくりに携わった経験は全くなかったそうです。本業の合間をぬって、なぜ、オリジナルのお酒づくりができたのでしょうか。
開発から販売に至るまでの道のりや会社員の経験で役に立ったことなど、お話をうかがいました。(text:井上かほる)
(プロフィール)
松田行正さん
1970年、広島県生まれ。北海道大学を卒業し、複数の企業を経験後、現在は都内のIT企業に勤務。2020年より副業として「のとジン」の開発をスタート。2021年3月に石川県珠洲市に移住。FMかほく「のとジンに乾杯!」にてパーソナリティも務めている。
公式サイト https://notogin.com
インスタグラム https://instagram.com/noto.gin/
Twitter https://twitter.com/NOTOGIN1
もくじ
能登の里山里海から生まれた、爽快感あふれる「のとジン」
――副業で「のとジン」をつくられたとのことですが、まずはどんなお酒なのか、特徴をお聞かせいただけますか?
松田:
能登の里山里海で生まれたゆず、かや、クロモジ、月桂樹、藻塩を使い、イギリスのウェールズの蒸留所で製造したオリジナルのクラフトジンです。
ジンといえば苦味がちょっと強いのが特徴のひとつですが、のとジンに関しては柑橘系と爽やかな香りがする植物を多く使うことで、清涼感あふれる香り高いジンに仕上げました。フレッシュな飲み口なので、和食、とくに魚料理に合うと評価していただいています。
飲むときはトニックで割っても良いんですが、ちょっと甘みが強くなって、せっかくの香りが消えてしまうんですよね。それよりはソーダ割りで飲んでいただいたほうが、本来の香りを楽しんでいただけるんじゃないかと思います。
ちなみに、のとジンの材料は、使われずに廃棄されるものや、森林保護のため間伐される樹木を使っていて、SDGsにもつながります。
――副業とは思えない本格的なクラフトジンですね。しかし、オリジナルのお酒をそう簡単につくれるものではないと思うのですが、お酒に関わるお仕事はされていたのでしょうか?
松田:
いえいえ、大学時代にアルバイトとしてバーで働いていたことはありますが、お酒に関連する仕事はそれだけ。社会人になってからは生命保険会社やコールセンター、歯科産業、動物病院関連の仕事など、お酒とはまったく関係のない仕事をしてきました。現在はIT企業に勤めています。
ただ、もともとお酒が好きで、いつか自分のお酒をつくることを夢見ていました。酒造会社に就職するのが最も可能性に近づく方法ですが、そこまでの決断に至ることができず、気がつけば、40歳も半ばを過ぎていました。
つくる側ではないことが、とにかく悔しかった
――そこから、どうやってクラフトジンをつくるまでに至ったのでしょうか?
松田:
きっかけは、今から5年ほど前に、よく訪れていたバーのマスターから「最近、クラフトジンが面白い」と聞いたことです。もともとハーブやエッセンシャルオイルなど植物の香りに強い関心を持っていたので、植物によって豊かな香りのジンが生まれるのが面白いなと思いまして。興味を持って調べてみたら、ヨーロッパに、2、3人程度の小さなクラフトジンの蒸留所がたくさん生まれていることを知りました。これで「チャンスがあれば自分もつくれるかもしれない」と思ったんです。
さらに、2018年と2019年に東京で開かれた「ジンフェスティバル」にも背中を押されました。会場には日本だけではなく世界各国から魅力的なクラフトジンが集まっていて、販売するメーカーの方々もイキイキとしていて素晴らしいイベントでした。一方で、私はとにかく悔しくて。自分のほうがこれまでたくさんお酒を飲んできて、知識もあって、味にも詳しいかもしれないのに、どうして自分は飲む側でしかないんだろうと思ったんです。
そこでまた深く調べてみると、現在はOEM(=自社以外の製品を受託して製造すること)をしている蒸留所がけっこうあると知って。気になった蒸留所にメールしたり、SNSをフォローしたりして情報を集めていました。そうするうちに、ジンをつくりたい気持ちがむくむくと大きくなっていきましたね。
そんななか、2020年の春に、能登との運命的な出会いがありました。
能登との出会いが、のとジンづくりを加速させた
――何があったのですか?
松田:
ラジオで「能登ヒバ」のエッセンシャルオイルが人気だという話を聞いたんです。気になって取り寄せてみると、ヒノキに近いけどヒノキよりもっと強い香りで、ユニークな香りがする。「この能登ヒバを使えば、個性的なクラフトジンをつくることができるかもしれない」とピンと来たんです。
そこで、能登に移住してジンをつくるのも面白そうだなと思い、石川県の移住相談センターに連絡してそんな構想を話してみたところ、「それなら奥能登の市町に聞いてみたらどうですか?」と言われたので、いくつかの市町に電話で問い合わせしました。
そのなかで珠洲市の方が興味を持ってくれて、「そういう思いがあるのであれば、金沢大学の『能登里山里海SDGsマイスタープログラム』に参加してみると良いですよ」とお声がけいただきました。
――「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」とは、どのようなプログラムなのでしょうか?
松田:
能登の里山里海の新たな可能性を創造することを目標に、互いに学びながら自分のプランの具体化に取り組む、石川県と金沢大学によるプログラムです。
たとえば私の場合は、クラフトジンをつくるために専門家の方から能登の植物について学び、地元の方々から能登の良いところや課題、それらをどのように考えているのかを教えていただきました。
現地もしくはオンラインでの参加が可能だったので、私も月に1度は現地で参加し、能登のまちを見ながら学ぶことができました。
――マイスタープログラムは、クラフトジンづくりにどう役立ったのでしょうか?
松田:
このプログラムのおかげで、材料探しでは能登について理解したうえで地元の方々とお話しすることができ、ゆずやクロモジ、月桂樹などの材料の調達にも多くのご協力を得ることができたんです。事前に土地のことを知ってから、能登の地域の未来について同じ方向を見る当事者として話したからこそ、ご協力いただけたのではないかと思います。
マイスタープログラムと並行して、コロナ禍が落ち着いていた2020年9月に、本業の休みを取って、以前からコンタクトをとっていたウェールズの蒸留所に足を運びました。能登の材料を使って、OEMでジンをつくってもらえるのかを確認するためです。
ウェールズの蒸留所に一人で交渉。2022年3月には発売予定
――ウェールズにはおひとりで行かれたのでしょうか?
松田:
ひとりで行きました。外資系の仕事で20年近く勤務したので、蒸留所とのコミュニケーションは問題なく進めることができました。
帰国後に本格的に材料調達を始め、まとまったところで蒸留所に送付しました。候補にしていた材料のうち、メインにしようと思っていた能登ヒバは香りが強すぎて使えなかったのですが、一緒に送っていた他の材料でサンプルを作成してもらえました。
試作品を、バーの店主の方に試していただいたところ、評価が良くて。これはいける!と思い、2021年2月頃から販売に向けて本格的に動き出しました。
――商品化に向けて加速したんですね。とはいえ、大変だったこともあったのではないでしょうか。
松田:
好きでやっていることなので大変だとは思っていなかったのですが、パッケージデザインのイメージに相違があって意見がぶつかったり、購入したボトルが欠品していたりといろいろとありましたね。本業の合間を使ってのやりとりでしたが、何度もコミュニケーションをとって、最終的には満足のいくものをつくることができました。
――たくさんの方に届いてほしいですね。発売はいつごろでしょうか?
松田:
今年3月には一般発売を開始できるのではないかと見込んでいます。ようやく、ここまで来ることができました。
たくさんの方に助けてもらったおかげで、のとジンをつくることができた
――開発スタートから1年半ほどで完成にこぎつけられましたが、振り返ってみて、未経験でオリジナルのジンが作れた理由は何でしょうか?
松田:
ここまでたどり着けたのは、たくさんの方の協力があってこそだと思っています。ひとりでは到底できませんでした。
とくに石川県内のさまざまな方々のサポートが大きかったですね。珠洲市役所の方にはマイスタープログラムをご紹介いただきましたし、ISICO(石川県産業創出支援機構)の方には事業化するためのアイデアについてもアドバイスをいただきました。幅広いサポートを得ることができ、感謝しています。
探してみると、自治体には町おこしや移住に関するさまざまな制度があります。それを見つけ出して、積極的に活用していくことが大切ですね。
――資金もかなりかかったのではないでしょうか?
松田:
トータルで900万円ほどかかりました。サンプル作成に数十万円、コンサルティング料に100万円、さらに日本への運搬費用もそれなりにかかり、想定していたよりもかさみましたね。
資金は、日本政策金融公庫さんや信用金庫さんから融資を受けられて、なんとか調達できました。
珠洲市への移住も実現。片道11時間かけてでも帰りたい
――今回が初めての副業ということですが、会社員の経験で役に立ったことはありましたか?
松田:
相手の立場に立ってコミュニケーションをしてきた経験は、役に立ったのではないかと思います。
ウェールズの蒸留所の人たちとやり取りするのは、正直、大変なことがたくさんあったんですよ。なかなかスケジュール通りに進まずやきもきしたこともありました。しかし「相手は相手でさまざまな事情があるよね」と責め立てることはせずに、我慢強くやり取りしてきました。そのおかげで、どうにか満足いくお酒をつくれました。
働いていると、社内外問わずいろんな価値観の方がいます。そういう時にこちらの考えを主張するだけではなく、相手の考えをしっかり受け止めて、最善の落としどころを見つけていくことは常日頃から意識してきました。
――積み重ねが生きましたね。
松田:
酒づくりの経験はありませんでしたが、どんな仕事でも全く同じ状況はそうそうなく、常に学ぶしかありません。そう考えると、専門スキルがなくても、常に学んでいくスタンスさえあれば、できないと思っていたことも、やってみたら意外とできるのかもしれません。私もうまくいかないこともありましたし、時間もかかりましたけど、のとジンをつくることができました。
――いまでは珠洲市に移住もされたそうですね。
松田:
会社から「業務に支障がなければリモートワークでも構わない」と許可を得て、2021年3月に移住しました。複数の市を調査したのですが、珠洲市が条件的には一番自分に合っていましたね。実際住んでみると、時間がゆったりとしていて、困っていると助けてくれる良い人ばかりです。たまに会社のある東京へ行くときは、バスで片道11~12時間かかるのですが、それでも珠洲に早く帰りたいと思うほど落ち着きます。
ジンづくりの副業を始めたことでもう一つ良かったのは、「自分が自分らしくいられる場所」が得られたことです。場所とは「副業の場」という意味でもありますし「移住先の珠洲」という意味でもあります。そういう場所がプライベートで持てると、会社の仕事で行き詰まってもスタックしにくくなる。本業で悩む時間は確実に減りましたね。
できないと思っていたことも、やってみると意外とできる
――今後の目標を教えていただけますか?
松田:
まずは販売をスタートすることです。現在は予約いただいた方への発送の準備をしていますが、まだ売り上げがない状態なんですよ。だから、自分が何かやり遂げた感はまったくない。キャリアの終わりを考える年齢ですが、のとジンはこれからです。この事業と自分をどれだけ持続可能な状態にできるのか、チャレンジしていくことが、長期的な目標です。
――最後に、30歳以上で新しい分野の仕事に挑戦したい人へメッセージをお願いします。
松田:
私自身が後輩のようなもので、アドバイスできる立場ではないのですが、何かやってみたいことがあれば、やってみたら案外できてしまうのでは、ということはお伝えしたいですね。
お金や本業との兼ね合いなど、気になることはいろいろあるかと思います。でも、私がクラフトジンや能登の植物やご協力いただいた人たち、ウェールズの蒸留所と出会ってのとジンづくりが始まったように、行動していれば、タイミングがカチッと合う瞬間が訪れるはずです。
~取材を終えて~
「50歳を過ぎてから1年生をしているのは、時には恥ずかしい時もあるんです。でも、それが私だから、と納得しています」。松田さんはそんなことをおっしゃっていました。気にするべきなのは、周囲の目よりも自分の目。年齢にとらわれず、自分の目にしたがってチャレンジすれば、松田さんのように、自分らしく生きられる場所が見つかるかもしれません。