先輩に聞く

【30sta!な人・vol.8】このまま惰性で人生を歩んでよいのか…? 45歳で未経験の「農と食」の事業にチャレンジし、農家やメーカーと商品開発

30代以降に新たな挑戦を始めた方を取り上げる「30sta!な人」。第8回にご登場いただいたのは3181(さいわい)ファームの亀山剛太郎さんです。

亀山さんは新卒で入社した会社に25年間勤めていましたが、体を壊したのを機に、自分の生き方を見つめ直しました。40代半ばでこれまで経験のない「農と食」の仕事に挑戦し、わずか3年で開発したオリジナル商品を有名チェーン店に卸しています。ノウハウを持たない分野で事業を軌道に乗せられたのは、働きながら通った「学校」のおかげもあるようです。


「1回しかない人生だから後悔したくなかった」という亀山さんにインタビューしました。


(text:杉山直隆 取材協力:アグリイノベーション大学校 取材月:2023年10月)

[プロフィール]
かめやま・ごうたろうさん
1974年生まれ。1997年に大学卒業後、大手素材メーカーに入社。商社部門で、国内最大手のアパレルやアウトドアウェア・用品などの営業や企画、生産管理などを手がける。2016年~2017年まで上海へ海外赴任。2020年にパートナーの経営する会社で、新規事業として農と食に特化した部門「3181(さいわい)ファーム」を立ち上げる。2022年夏に大手素材メーカーを早期退職し、フィーノに入社して農と食の事業に専念。3181ファームURLはhttps://3181farm.com/

昨年開発したオリジナル「玄米おにぎり」を、首都圏のスーパーや海外で展開

──「農と食」に関する事業を手がけているそうですね。どのような事業をされているのか、具体的に教えていただけますか?

亀山 農産品を作られている生産者さんや地方の加工品メーカーさんとパートナーシップを組み、一緒にオリジナルの加工品を開発しています。

看板商品は2022年から販売を開始した、玄米を使った冷凍おにぎり「玄米 de むすび」です。

玄米は健康志向の方や富裕層の方が食べるイメージがありますが、僕はもっと多くの人が気軽に玄米を味わえる環境をつくりたいと考えています。他社製品でレトルトパックのご飯はありますが、冷凍おにぎりがあれば、より手軽に食べやすくなるのではないかと考えたのです。

玄米は「硬くておいしくない」「炊くのも一苦労で手間暇がかかる」と敬遠する人もいますが、私たちの玄米おにぎりは玄米を熟成させているので、しっかりとした甘みと白米に限りなく近いモチモチ触感を生み出しています。添加物は一切使っておらず、塩と麴を少し使っているだけです。
また、電子レンジで1分30秒解凍するだけですので手軽に玄米生活を楽しむことができます。

──とてもおいしそうですね! どのようなルートで販売しているのでしょうか。

亀山 3181ファームのオンラインストアのほか、首都圏、関西のスーパーや生協さんでも取り扱っていただいています。生産のキャパシティが限られているので、受注数量に制限をつけさせていただいているのですが、コープデリさんでは取り扱い3カ月目以降、常に数量の上限まで受注をいただいています。

玄米の冷凍おにぎりが広まれば、お客様は身体に良い玄米が手軽に取り入れられるし、落ち込む一方だった日本人のコメの消費量が増えてお米農家さんもメリットがある。耕作放棄地が減れば、地方自治体や国も助かるでしょう。弊社も含めて、みんながハッピーになる5方よしのビジネスモデルになると考えています。

最近ではロサンゼルスでも販売し始めていて、ビーガンの方に好評を博しています。潜在ニーズを掘り起こしつつある、と感じています。

玄米を使った冷凍おにぎり「玄米 de むすび」。冷凍おむすびは成型が難しく、何も加えずに崩れないようにするのに苦労したという。3181ファームのオンラインストア https://3181farm.thebase.in/で購入できる

肝硬変寸前で生き方を再考。自分の意思でやってみたいことをしていない、と気づく

──話を聞いていると、長年、農と食の仕事を手がけていらっしゃったように感じます。

亀山 でも、農と食の仕事を手がけるようになったのは2020年から。それまではまったく畑違いのことをしていました。ちなみに、実家も農家ではなく、農とはまったく無縁の人生です。

──それまではどのような仕事をされていたのですか?

亀山 新卒入社した素材メーカーに25年間勤めて、うち20年間は関連会社の商社で営業職をしていました。

具体的には、アウトドアメーカーさんやスポーツメーカーさんのOEMでアパレル製品を生産する仕事に携わっていました。営業するのはもちろん、生地を中国や東南アジアで調達して、契約している縫製工場で製造する流れをコントロールする生産管理や、商品の企画・デザインにもかかわっていました。直近の6年間は本社に戻り、うち1年間は上海に駐在していました。

──なぜそのキャリアを方向転換しようとお考えになったのでしょうか?

亀山 大きなきっかけになったのは、45歳の時に身体を壊したことです。

本業では昼夜を問わず国内外を飛び回っていました。接待も数多くあり、毎晩のようにけっこうな量のお酒を飲んでいたのですね。それがたたり、かかりつけのお医者さんから「このままだと肝硬変になるよ」と言われたのです。

当時はまだ息子が5歳。このままいったらまずいと我に返りました。

40代半ばといえば、人生100年時代の折り返しが見えてくる時期です。会社では管理職につき、年収もそれなりにいただいていましたが、ストレスが多く、現に身体も壊してしまった。

定年まで勤め上げるつもりでいましたが、このまま惰性で人生を歩んでいっていいのだろうか、と疑問に思ったのです。

──これまでも惰性で人生を歩んでいた、と思われていたのですか。

亀山 僕らの世代や親の世代は、有名大学を出て有名な上場企業に勤めて肩書きを手に入れることへの憧れみたいなものがある人もいると思います。僕もその一人で、周りの目が気になるし、親の期待に応えたい、と今のキャリアを歩んできた。そのことに気づきました。自分の意思で「これが好き」「これをやってみたい」ということをしてきたかというと、クエスチョンマークがつきます。

自分はいったい何がしたいのか?

そう考えたときに、会社の出世ではなく、年収が一時的に少し下がったとしても、家族と一緒に楽しく幸せに暮らしていけるライフスタイルを描きたい。体を健康にして、ウェルビーイングな生活を送りたいと思ったのです。

その具体的な手段として急に私の中に降りてきたのが、「農」というワードでした。それまで食べ物は気にしていなかったのですが、もっとカラダに取り入れるものにこだわりたい、家族にも安心安全なものを食べてもらいたい。そういう仕事をしたいと思いました。

──40代半ばで新たな分野に挑戦するのは勇気がいりますね。

亀山 確かにこの年齢で畑違いの挑戦をするのはリスクがありましたが、55歳、60歳になったらさらにリスクは高くなります。

振り返ると、これまでの人生、「あの時ああしておけばよかった」ということがいくつもありました。1回きりの人生、これ以上の後悔はしたくない。ならば、舵を切るなら今しかないと思いました。

働きながら農業スクールに通い、ビジネスヒントと技術を得る

──とはいえ、まったく未経験の分野に進むのは簡単ではなかったと思います。何から始めたのでしょうか。

亀山 そもそも農と食のビジネスといっても最初は何のアイデアも持っていませんでした。まずは会社で働きながら、農業関係のスクールに通い始めました。

2020年に最初に入ったのが「コンパクト農ライフ塾」。都会のビジネスパーソン向けに農家を育成する1.5カ月間のオンライン講座です。

農業をしたい気持ちがあったのですが、この講座にヒントを得て、自分で農産品を作るのではなく加工品の開発から始めることにしました。長年手がけてきた販路開拓やマーケティングという自分の得意分野を生かして、6次産業化の出口の部分を作ろうと考えたのです。

──さっそく動き出したのですか?

亀山 はい。まずは、プライベートの時間を使って、農家さんや加工品メーカーを探し始めました。ただ、本格的に事業をするとなると、より深く農業の世界を知る必要が出てきます。

そこで2020年秋からは、「アグリイノベーション大学校(AIC)」に通い始めました。

こちらは栽培の技術から農業経営やマーケティングまで、農業ビジネスに必要なことを1年強かけて学べるスクールです。会社勤めの人も通えるように、授業が週末に設定されているのも魅力的でした。また、週末に農地で実地体験できることも、将来、農業をしたい僕にとっては魅力的でした。

在学中から加工品ビジネスの仕事を進めていたので、わからないことが出てきたら、講師の先生や農場長、スクールの経営陣、運営スタッフなどに質問していました。SNSでつながっていたので、卒業後にお伺いしたこともありました。非常にありがたかったです。

同級生も、バックグラウンドは違っても、同じベクトルを持っています。こういう仲間たちと出会えたことも大きな財産だと感じています。

自分が決めてやる仕事は苦も苦ではない

──会社はどのタイミングで辞めたのでしょうか?

亀山 2022年の夏なので、すでに加工品の事業をかなり進めてからです。3年間は助走期間をとってから辞めようと考えていたので、予定通りですね。

──それだけ手応えを感じられたからこそ、退職を決断できたのでしょうね。

亀山 正直まだマネタイズしきれていませんし、まだまだこれからなのですが、前職の経験やノウハウが生かせることを実感しました。アパレルと農・食では畑違いのように見えるかもしれませんが、実はビジネスモデルは近いので、応用が利くのです。「この年齢で外に出て大丈夫かな」と不安はありましたが、それは無くなりました。

それに、なんといっても仕事をしていてすごく楽しい。言われてやる仕事ではなく、自分が決めてやる仕事ですから、苦も苦じゃないですよね。大げさではなく、天職なのではないかと思います。

もちろん、早期退職ができたのは、家族の後押しのおかげです。3181ファームはパートナーが経営している会社の新規事業としておこなっているのですが、最初から、3年間はまずは農ビジネスの勉強に集中して欲しいと言ってくれたのも有難かったですね。もちろん、社内の反対はまったくありませんでした。とても感謝しています。

時間はあっという間に過ぎる。悠長にやっている余裕はない

──今後はどのような活動をしていこうとお考えですか?

亀山 僕のミッションは「日本の農業活性化」と「世界の人たちの食生活改善」だと思っています。それに向けてよい出だしが切れているのかなと思っていますが、加工品のビジネスはあくまで第1ステージ。第2、第3ステージでは地域振興になることをしていきたいと考えています。

これは遠い将来の話ではなく、すでに、富士山の麓に位置する静岡県の小山町で活動を始めています。

2021年にたまたま紹介されて行ってみたら、すごくほれ込んでしまいました。富士山の水に恵まれているうえ、稲作と水かけ菜の二毛作をしていて、水かけ菜の残渣を肥料にするので、すごく美味しいお米ができるのですね。

今年7月にその田んぼでできた玄米を商品化したら、町の方が喜んでくれまして。今では、自社の加工工場をつくって、おにぎりカフェをつくって、関係人口を呼び込むといった画を描いて、実現に向けて動きを加速しようとしています。せっかくおにぎりが売れ出しているので、さらに深掘りして、小山町の活性化につなげたいと思っています。

さらには市民農園の他にも1反歩ほどの農地を借りて作物を育てていて、すでに月の3分の1は小山町にいます。早くて来年には小山町の農業委員会から農家資格の許可も得られそうなので、さらに活動を本格化させていきたいです。

──結びに、これから挑戦しようと考えている30~50代の読者にメッセージをお願いします。

亀山 僕は、周囲の人からものすごいスピードで動いているといわれるのですが、自分自身はそう思っていません。この年齢になったら、もはや悠長にやっている余裕はありませんからね。1週間、1カ月とあっという間に過ぎていきます。

そう考えると、リスクを恐れて動かないよりは、ちょっと失敗しても軌道修正しながら思い切って動くことをおすすめします。動かなかったら何も始まりません。年齢を重ねるほど動きにくくなりますから、早めに始めたほうが良いのではないでしょうか。

~取材を終えて~
「農と食」に挑戦した亀山さんの歩みをたどると、計画的というよりも、とにかく行動することを大切にし、動きながら考えていたことが分かります。

だからこそ、わずか3年強の間に、お米農家さんや小山町、アグリイノベーション大学校などと出会い、未経験の分野でも活躍の糸口をつかむことができたのでしょう。

年を重ねるほど熟考しがちですが、そうするほど腰はどんどん重くなっていきます。少しでも必要かもしれないと感じたら、飛び込んでみる。そんな姿勢を心がけていこう、と感じる取材でした。

ABOUT ME
杉山 直隆
1975年、東京都生まれ。専修大学法学部在学中に、経済系編集プロダクション・カデナクリエイトでバイトを始め、そのまま1997年に就職。雑誌や書籍、Web、PR誌、社内報などの編集・執筆を、20年ほど手がけた後、2016年5月に、フリーのライター・編集者として独立。2019年2月に(株)オフィス解体新書を設立。『週刊東洋経済』『月刊THE21』『NewsPicks』などで執筆中。二児の父(11歳&8歳)。休日は河川敷(草野球)か体育館(空手)にいます