先輩に聞く

【30sta!な人・vol.9】39歳の郵便局員が、アメリカ寿司職人→室戸市の地域おこし協力隊に転身。「やりたいことはやったもの勝ちです」

30代以降に新たな挑戦を始めた方を取り上げる「30sta!な人」。
第9回は、高知県室戸市の地域おこし協力隊として活躍する大岩佑子さんです。

東京都渋谷区出身の大岩さんは、大学卒業後、イタリアの研究所での活動やオーストラリアでのワーキングホリデー、そして郵便局での10年間の勤務を経て、39歳で寿司職人に転身しアメリカへ渡りました。しかし、コロナ禍で緊急帰国を機に、長年親しんできた室戸へ移住を決断します。

「食材の魅力に惚れ込んで室戸に移住しました」という大岩さんに、室戸での新たな挑戦について伺いました。

(text:山田優子 取材月:2025年1月)

[プロフィール]
おおいわ・ゆうこさん
1978年東京都生まれ。日本女子大学理学部数物科学科を卒業後、イタリアの研究所で半年間勤務。大学院を中退した後、1年ほどオーストラリアに移住し、ワーキングホリデーで働く。帰国後は郵便局に10年間勤務。寿司職人の養成学校で学んだ後、2019年にアメリカに渡り寿司レストランに就職。2020年3月に帰国し、高知県室戸市に移住。12月に室戸市の地域おこし協力隊に着任

「人生は一度きり。本当に好きなことをやろう」39歳での決断

──前職はアメリカの寿司職人とのことで、そこには思い切った決断があったと思います。何かきっかけはあったのでしょうか?

大岩 39歳で2度目の肺炎を患ったことが、大きな転機になりましたね。

それまで郵便局に10年間務め、表彰されるほどの成績も残していました。安定した生活に満足していましたが、病気をきっかけに自分の人生を見つめ直すようになったんです。「このまま、やりたいことに挑戦せずに終わっていいの?」と。そして「人生は一度きりなんだから、好きなことをして楽しみたい」という気持ちが湧いてきました。

実は、大学卒業後、イタリアの研究所で働いていた期間があるんです。任期は半年でしたが、その後も「またイタリアに住みたい」という思いがずっと心の中にありました。

そこで、「どうすればイタリアで暮らせるのか」と考えるようになり、寿司職人という道が浮かびました。日本食が人気の国も多く、ビザも取りやすいと知り、これならイタリアへの道も開けるかもしれないと考えたんです。

──イタリアを目指しながら、アメリカへ行くことにしたのはなぜですか?

大岩 日本で寿司職人の学校に通いましたが、イタリアには長年経験を積んだ日本人の料理人が多く、学校を出ただけでは通用しないと感じたんです。そんなとき、アメリカでは寿司ブームが起きていて、新しいスタイルのお寿司も受け入れられやすい環境があることを知りました。

それに「アメリカで修行した寿司職人」というとインパクトがあるじゃないですか(笑)。世界に出ていくためにも、そうした肩書きが強みになるんじゃないかと考え、まずはアメリカへ行くことにしたんです。

──そこから、室戸にたどり着くまでにはどのような経緯があったのですか?

大岩 2019年にアメリカに渡り、お寿司やラーメンが有名なお店で修行を始めました。1年半かけて技術を磨き、その後イタリアで働くつもりでした。ところが半年後に新型コロナウイルスが広まり始め、店が一時閉店してしまって……。私が住んでいたフロリダでは感染が深刻で、知り合いも亡くなるほどの状況。英語は話せても、このパニックの中で生き延びる自信がなく、2020年3月に日本へ一時避難したんです。

帰国当初は「コロナが落ち着いたらすぐに戻ろう」と思っていましたが、状況は思っていた以上に長引き、なかなか先が見えず。「次はどうしよう」と考えていた中で思い出したのが、室戸の食材でした。

──なぜ、室戸だったのですか?

大岩 室戸には友人がいて、10年以上前から何度も遊びに行っていたんです。そのたびに食べたカツオのたたきや刺身の美味しさに驚かされて、「1回目の訪問で他のカツオのたたきが食べられなくなり、3回目で東京の刺身が無理になる」ほど(笑)。

帰国後も室戸の「道の駅」から野菜や魚を取り寄せるたびに、「やっぱりここの食材は別格だな」と感じ、室戸への想いが強くなっていったんです。そんなとき、たまたま知り合いが運営するドルフィンセンターで短期バイトの募集があり、住む場所も提供してもらえるということで思い切って室戸で生活することにしました。

2020年7月から2ヶ月半、室戸の食材だけでなく、自然や文化にも触れ、地元の方々にも支えられながら、室戸への想いがますます深まっていって。そして、気づいたら「ここに住みたい」と強く思うようになりました。

県の移住促進の担当者からは「高知には他にもいい場所があるから、いろいろ見て決めてみては?」と提案されたんですが、「いえ、私、室戸以外に住む気ないんです」と即答するほど、気持ちは固まっていました(笑)。

そして、2020年12月に地域おこし協力隊としての活動をスタートさせたんです。

室戸の宝を発信、FBCでPRを学び掴んだシンガポール世界大会への切符

──地域おこし協力隊としてどのような活動をされているのですか?

大岩 室戸の特産である海洋深層水のPRを担当しています。室戸は日本で初めて海洋深層水の取水を開始した地域で、今では食品や調味料、化粧水など1300種類を超える商品に海洋深層水が使われているんです。

特に私が力を入れているのが、この水で育った「サツキマス」です。海洋深層水は、地球の海底を数千年かけて巡り、全海域のわずか0.1%でしか取水できません。この貴重な資源を活かして養殖することで、環境破壊の影響で幻の魚になってしまったサツキマスを、安全で美味しい魚として提供できるんです。

室戸の海洋深層水を使った商品の販売会。高知では海洋深層水関連の多様な商品が開発されている

ただ、私自身、食の業界もPRもまったくの素人。そこで2022年6月から翌年3月まで、高知大学が実施する「土佐フードビジネスクリエイター(FBC)」という講座を受講しました。食品の基礎からマーケティングまで幅広く学べるプログラムです。当時はコロナ禍でしたがオンライン開講だったため、自宅にいながら学ぶことができました。

──受講されてみてどのような変化がありましたか?

大岩 「食で新しいビジネスに挑戦していく人がこんなにいるんだ!」と驚きました。全国で開催される食の大会に出場したり、事業を立ち上げたりと活動的な方たちが多くて。そういう仲間に出会えたのがすごく刺激になりました。

高知大学「土佐フードビジネスクリエイター(FBC)」の本科コースの後にコースアップして受けた「イノベーション創出基礎コース。実験をメインにしている

──最近の活動で手応えを感じていることはありますか?

大岩 2024年2月の「にっぽんの宝物JAPANグランプリ」では、サツキマスが最強素材部門で準グランプリを獲得し、同年8月にはシンガポールで開催された世界大会でPassionAward(特別賞)をいただくことができました。審査員の方々に自分の言葉で深層水の魅力を伝えて、直接その反応を感じられたのが何より嬉しかったです。

シンガポールで開催された「ニッポンの宝物」世界大会でPassionAward(特別賞)を受賞

また、地元の室戸高校の生徒たちと一緒に、深層水を活用した新しいメニューを開発する授業も行っています。「魚は苦手」という生徒も、実際に食べてみると表情が変わって「このサツキマス美味しい!」って。最後にはじゃんけん大会で試食の取り合いになるほど(笑)。座学だけでなく、実際に食べて体験してもらうことで、食材の魅力がより伝わるのだと実感しました。

このように地域おこし協力隊としてさまざまな挑戦ができているのは、市役所の方たちの理解と協力があるからこそです。上司がとにかく良い方で、「こういうことをしたい」と私が提案した時に「どうやったらその活動をさせてあげられるか」を一生懸命考えて実現させてくれるので、非常に助かっています。

特に、シンガポールでの世界大会では、JAPAN大会の結果が出る前から、市役所の方々が次のステップを見据え、先回りして予算を確保し、事務手続きを進めてくださいました。そのおかげで、出場が決まった際もスムーズに動くことができたんです。

「PRは私が担当し、行政手続きや関係機関との調整は市役所の方々が担う」という役割分担があるからこそ、思い切って挑戦を続けることができています。

高知のオープンな土地柄が人との距離を自然と縮めてくれた

──室戸に移住されて5年目になりますが、すっかり慣れましたか?

大岩 はい。室戸は年間50人以上が移住してくる町で、移住者にとてもオープンな土地柄なんです。「高知はひとつの大家族やき」とよく言われるように、本当にその通りだと感じます。

私自身、人見知りな性格なんですが、みんなが気さくに話しかけてくれるおかげで、気づいたら友だちがどんどん増えていって。今では「友だちが多い人」だと思われるくらい。最近では、お酒を飲んだときに無意識に土佐弁が出ているらしくて、「微妙な言い回しまで使いこなせているよ」って言われることもあります。

室戸に来てから友達が増えたという大岩さん。外からの人を受け入れる風土があり、移住者も多いという

──それはすごい。すっかり室戸の生活に溶け込んでいらっしゃるんですね。一方で、生活をする上で苦労などはありましたか?

大岩 一番の課題は車の運転でした。免許は持っていたものの、20年間ペーパードライバーだったので最初は不安で。けれど、室戸は道が広くて交通量も少ないので、練習するには最適な環境なんです。逆に都会の運転はもう怖くて考えられませんね。

あとは医療面です。室戸市内でも普段の診療は受けられますが、専門的な治療が必要な場合は高知市内まで行く必要があります。私自身、以前大きな病気をしたとき、手術後の生活を考えて一時的に東京に戻りました。地方への移住を考える際は、医療のことを考慮しておくと安心かもしれませんね。

とはいえ、普段の生活で不便を感じることはほとんどないんです。Zoomがあればどこにいても打ち合わせはできますし。よく東京の友人から「Amazonは届くの?」と聞かれることもあるんですが、ちゃんと翌日配達されますよ(笑)。

食の魅力をストーリーで世界に届けたい

──これからの目標を教えていただけますか。

大岩 室戸の食材をもっと世界に向けて発信していきたいです。

地域おこし協力隊としての活動は任期を終えるため、今後は起業を視野に入れつつ、室戸の魅力を世界に発信し続けたいと考えています。

今は出張寿司職人としてイベントに呼んでいただいたり、食の6次産業化プロデューサーの資格を取得したり、農山漁村発イノベーションプランナーに登録したりと、少しずつ準備を進めているところです。

出張寿司職人としてサツキマスの試食会を高知大丸で開催。その他、県外でも開催している
幻の高級魚といわれるサツキマスを贅沢に使ったお寿司

──世界に向けて室戸の食材をPRしていく上で、大切にしていることは?

大岩 食の魅力を伝えるには、ストーリーが大切だと最近感じています。「美味しい食材」というだけでなく、その食材がどのような背景で生まれ、どんな人たちの想いでつくられているのか。そういった背景を知ることで、より深く理解してもらえると思うんです。

今、私は室戸に住んでいるからこそ、生産者さんや事業者さんとの出会いを通じて知った食材のストーリーをもっと多くの人に届けていきたいですね。

──最後に、これから新しいことに挑戦しようとしている読者へメッセージをお願いします。

大岩 地方には、都会にはないチャンスがゴロゴロあります。

私は39歳で郵便局を辞め、寿司職人になり、アメリカに渡り、そして室戸に移住しました。一見するとバラバラなキャリアに見えるかもしれませんが、自分が「これだ!」と思ったことに素直に飛び込んできた結果、今につながっています。

好きなことに思いっきりのめり込むと自然と学びが深まり、新しい道が開けてくるものだと感じています。

だから、「やってみたいけれど踏み出せない」という方がいたら、ぜひ一歩を踏み出してほしいですね。人生は一度きりです。やりたいことは、やったもん勝ちですから。

~取材を終えて~

「私は石橋を叩いて渡るタイプです」と、取材中に何度か口にされた大岩さん。

イタリアで暮らすという夢に向かって、寿司職人の道を選び、他の料理人との差別化を図るためにアメリカへ。そして、室戸への移住も、知り合いが多く「ここでならやっていける」と確信を持った上での決断でした。

確かに、そこには将来を見据え、一歩ずつ確実に進んでいく彼女の姿があります。一方で、いったん決めたことは迷わず、夢中で突き進んでいく。その潔さもまた大岩さんらしさを感じさせます。

人生は一度きり。しっかり考え抜いて、信じた道を迷わず歩んでいく──。

大岩さんの生き方は、これから新たな一歩を踏み出そうとしている私たちに勇気を与えてくれる。そんなインタビューでした。

ABOUT ME
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山田優子
神奈川県生まれ。大学卒業後、百貨店内の旅行会社に就職。その後、大阪に拠点を移しいろいろな業界を渡り歩くも、プロジェクトベースの働き方に憧れて2018年にフリーライターへ転向。ビジネス系の取材記事制作を軸に活動中。一児の母。毎日欠かせないもの、珈琲と山椒。